百人一首 93番
”世の中は常にもがもな渚こぐあまのをぶねの綱手かなしも” (新勅撰集・巻八)
「この世の中は永遠に変わらないものであってほしいものだ。
この渚をこぐ漁夫の小舟の綱手を引いていく景色にしみじみと心が動かされることであるよ」鎌倉の海岸で経験した実景に触れての感動を詠んだもの。 作者の永遠を希求する心、自然の美しさを感ずる心、異質な二つの要素が一首としてうまくまとめられている。
□ 鎌倉右大臣に就いて
□ 実朝の歌・抜粋
Ⅰ 詞書・箱根の山をうち出でてみれば波の寄る小島あり・・・
Ⅱ 景物を実体験としての歌
Ⅲ 詞書・道のほとりに幼きわらはの母をたずねていたく泣くを・・・
Ⅳ 詞書・荒磯に波の寄るを見て詠める
Ⅴ 詞書・またのとし二所へまいりたる時・・・
Ⅵ 詞書・走湯山参詣の時
Ⅶ 詞書・心の心を詠める
□ 結び
Ⅰ 鎌倉幕府は実朝の暗殺により、源家の血筋は断絶した。
実朝暗殺後、北条義時は京より九条頼経を将軍に迎えて幕政を断、武家政治の優位を確立執権政治の基礎を築いた。
頼朝の死後、二代・三代の将軍をめぐって、北条時政・義時親子と、頼朝に従って功労のあった豪族宿将たちとの間に起こった権力争いは凄惨なものであった。 源家に功のあった重臣たちを一族もろとも次々に滅ぼし、最後に将軍をも殺して権力を握った北条氏の権謀はまさに凄まじいものであった。
三代将軍実朝はその激しい渦の真っ只中にあり、実朝が武家でありながら京の文化にこころひかれ、遂に武家になりきれなかった事が、鎌倉幕府により否定され実朝抹殺の悲劇を招くこととなった。
その後義時の子、泰時は父の没後執権となり、御成敗式目の設定をはじめ、その治世には見るべきものがあり、公武双方から後代まで名政治家として評価された。
泰時以降鎌倉幕府は、北条一族が執権職として強力に推進していくことになる。
Ⅱ 実朝の悲劇を後世「太宰治」は、裏切られても平然として滅亡出きる理想の人物として実朝を描いている。 これは太宰がひそかに願い続けた自画像であったのかも知れない。
また「小林秀雄」は、実朝を陰惨な暗殺集団の上に乗っかった、無垢な詩人の孤独感に重点を置いて描いている。
実朝の人間像は、鎌倉の歴史と文化を背景として、これからも末長くその魅力を世の中の人々の心の中に生き続けていくことであろう。
☆ 文中引用の参考資料
Ⅰ 「吾妻鏡」 鎌倉後期成立の史書五十二巻、鎌倉幕府の 公的な編纂と云われる。
Ⅱ 折口信夫・「短歌本質成立の時代」(全集第一巻)
Ⅲ 吉本隆明・「源実朝」(ちくま文庫)
Ⅳ 有吉 保・「鎌倉右大臣」(歴史読本)
Ⅴ 矢内原伊作・「源実朝」(雑誌太陽)
以上 この項 終り。解説者 牧 宏安
sakura-HP ←93番に詳しく解説が載っておりますのでご覧くださいませ。
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