百人一首「寂連法師」
第87番 「寂蓮法師(じゃくれんほふし)」
”村雨の露もまだひぬ真木の葉に
霧立ちのぼる秋の夕暮れ”
(新古今集巻五 秋下)
□ 寂連法師に就いて
父は藤原俊海、幼名を定長といった。 十二歳の時伯父藤原俊成の養子となったが、十年後俊成に実子定家が生まれそれを機会に俊成の元を離れ、二十三歳で出家寂連と名乗った。西行・定家と共に、所謂「三夕(さんせき)の歌」の歌人として有名であるが、「三夕の歌」として評価されたのは、百人一首に撰ばれた冒頭の歌ではない。 何れも新古今集に入集された以下の三首である。
① 寂連法師
”さびしさはその色としもなかりけり
真木たつ山の秋の夕暮れ”
(新古今集巻四 秋上)
② 西行法師
”こころなき身にも哀れはしられけり
しぎたつ沢の秋の夕暮れ”
(新古今集巻四 秋上)
③ 藤原定家
”見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ”
(新古今集巻四 秋上)
□ 結び
出家した寂連は、多くの貴族・公家・歌人が住む京都の嵯峨に移り住んだ。そして美しい土地の自然を題材に多くの歌を詠んで過ごした。
後鳥羽上皇は、予々歌人としての寂連を高く評価されていたが、ある日上皇の使者が寂連の庵を訪ね、この度当代一流の歌人(良経・慈円・定家・家隆など)十人に十首づつの歌を出してもらうことになり、寂連法師にもお願いすることになったので、との要請があった。
寂連は、この上ない名誉と思い詠み上げた歌の中の一首が、冒頭の百人一首の歌である。
秋の寂しさ、もの悲しさを詠んだ秀作とされ、歌合せでも大評判であったと伝えられている。
以上でこの項終り。 次回は皇嘉門院別当の予定。
解説者 牧 宏安
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娘時代、お正月にカルタ取りをしていた頃を思い出しました。 好きな歌の一つで、「村雨の、、」と聞こえたら”霧立ちのぼる秋の夕暮れ”を手元に置きパッとカルタを取ったものです。今の時代は あまりにも色々な遊びがありすぎてカルタ取りなどしなくなって残念なことだと思います。
今回の牧先生の解説が短いので、そのままアップさせていただきました。歌の訳は sakuraーHPに載せておりますのでご覧くださいませ。
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