百人一首 西行法師(その五)
□ 前書き
西行法師の解説は、本年五月に始まったが、今回の講座でこの項を終了する。講義の締め括りとして、西行の歌の集大成「御裳濯河歌合(みもすそがはうたあわせ)」「宮河歌合(みやがはうたあわせ)」より、いくつかの秀作を撰び、この項の結びとしたい。
□ 結び
「御裳濯河歌合」(みもすそがはうたあわせ)は俊成の友情によって加判も早く完成したが、「宮河歌合」(みやがはうたあわせ)は定家の判詞が大幅に遅れて、西行が最後の病床にあった河内の弘川寺にやっと届けられた。
死の四か月前文治五年(1189年)十月のことであった。
そして翌春、二月十六日奇しくも若い頃から願っていた釈迦の涅槃の日に、西行は入滅したのである。
五月から十二月まで、夏休みと講師の都合による二回の休講を除き、六回にわたった西行の生涯と歌の解説は、この項をもって終了する。次回は年明け、一月十八日、西行・定家と並ぶ「三夕(さんせき)」の一人、「寂蓮法師」の解説で開講する予定である。
解説者 牧 宏安
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十二月に牧先生より お送り頂いた西行法師最終の解説をやっと年を越してのアップとなりました。お正月になってやっと読ませて頂きブログに載せることが出来ました。歌合いは右と左に別れ 侍(引き分け)、勝。等と決められ、藤原俊成判詞の批評をここに少し載せておきます。
左:持(引分け)
”願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ”(続古今集)
「願うことは、花の下で春にこそ死にたいものだ。あの釈迦入滅の二月十五日ころに」
右: ”来ん世には心の中にあらはさんあかでや見ぬる月の光を”(千載集) 「来世には心の中に現そう。 この世ではいくら見ても見飽きることのなかった月の光を」
判詞: 左歌の「花のもとにて」といい、右の歌の「来ん世には」と表現しているのは、ともに深い内容であって、それについて見ると右は概していえば、よい歌の姿である。左は「願はくは」と置いて「春死なん」と表現するのは、きちんとした姿ではない。ただこの歌の全体の姿としては、上句と下句が調和していて、すばらしく聞えるのである。そうかといって、和歌の道に深く入っていない人々は、このように詠もうとしたら、うまくいかないことがあるに違いない。またこの詠み方は和歌の道の深奥に到達した時のことである。左右の歌の姿は似ていないが、同じような水準と見て 持とする。
参考:左歌は、西行が文治六年(1190年)二月十六日に入寂した為、俊成、定家をはじめ、多くの人々に感銘を与えた。 ただし「山家集」に入っているから、安元元年(1176年)以前に詠ぜられたものである。 釈尊の涅槃(ねはん)を思い、それを渇仰しつつ春を重ねた、いかにも西行らしい歌である。右歌は清澄な月に関わらせて宗教的意志を表した歌である。
判者は、姿は似ていないが、ともに凡常の人には詠みえない心の深い歌として評価したのである。
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