百人一首 第83番
『皇太后宮大夫俊成』
”世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる”
(千載集・雑中)
「この世は、遁れたいと思ってもどこにも道は無いことだ。 思い悩んだ末に心を決めて世を捨てて踏み入った山の奥にも、妻恋う鹿が悲しげに鳴いているようだ」
逡巡の末にやっと遁世の決意をして入った山中、然しそこにも哀怨極まりない鹿の鳴声がある。 余韻嫋々の寂寥の中で、出家しきれぬ自分を見出して断念するが、戻っていく俗世の前途に曙光が見出せるわけではなく、どこにも行き場のない深い嘆息、述懐歌の典型である。
俊成二十七歳の時の作歌。
平安から鎌倉へ一世紀近い大きな変革の時代を、俊成は歌道・歌学の文化を守り育て、次代に受け継いでいった。藤原氏は千年の長きにわたって、多くの文化を現代まで継承してきた。 権力者の交代があっても、常に朝廷を中心として時代を乗り切ってきた平安貴族のしぶとさが、それを可能にしたものであろう。 俊成の生涯は、その象徴とも言えよう。
次回は俊成と対峙する、六条藤原清輔をからめての講座となる予定。
解説者 牧 宏安
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コメント
★牧先生
皇太后宮大夫俊成。私は今まで「としなり」と読んでいましたが「しゅんぜい」と読むのですね。歌人の第一人者 藤原定家の父。
永久二年(1114年)生、
元久元年(1204年)没、
亡くなられたのが九十一歳。これには驚きました。
「世を捨てて踏み入った山の奥、、」のこの歌を詠んだ年がなんと27歳だったとは年寄りの様な歌で驚かされます。波乱万丈の時代を生き抜いて九十一歳で没するまでの六年間で後鳥羽院歌壇を場にして最高権威としての敬意を受けつつ過ごした期間。と書かれているのを見るにつけ昔の91歳なのに何とお元気な事。
今の殿方も見習って欲しいものです。藤原の栄華が終わりを告げ様とする平安朝末期、天下の権力が武家の手に移り動乱の時代で、藤原一門に影が付きまとう時代ですから俊成の歌も世のはかなさ、心細さ、やるせなさがよく感じられますね。
”夕されば野辺のあき風身にしみてうづら鳴くなり深草の里”
俊成三十七歳の時の歌も余情静寂の歌で俊成の幽玄をよく表した歌
と説明がありましたが本当に良い歌だと思います。
解説を有難うございました。
投稿: sakura | 2008年1月29日 (火) 21時03分
俊成卿が27歳でー世の中よ道こそなかれ、、、-逡巡の末詠まれたとの解説がございましたが、この時代だからでしょうか、すでに老成
なさった方と思いました。
そのお方が、平安時代の貴族社会から鎌倉時代の武家社会に移行する、激動の社会で91歳まで
ご存命なさったことは、驚きです。
そして、最晩年にー昔だに昔と思ひしたらちねの、、、-を詠まれた心境に 私も長生き
したら、、、、と心に響きました。
ありがとうございました。
投稿: tanuki | 2008年1月30日 (水) 14時15分
相も変わらず百人一首には疎いですが、sakuraさんがひと月に一度紹介される一首を勉強させていただいています。
私は歌よりその人物の時代背景に興味がありますのでHPも覗かせてもらっています。
長寿だった歌人の多いのも驚きですが、現代人の定年後の年齢から勉強をし直す歌人の多いことにもびっくりです。昔の人は死ぬまで勉学に励んだことに感動すら覚えます。
藤原定家は歌知らずの私でもその名前は知っていますが、その父の俊成や祖父、祖祖父の才能を受け継いでいたのですね。
投稿: あまもり | 2008年1月30日 (水) 16時21分
俊成27歳のうたとは、驚きです。この時代に生きた人たちは皆、若くして心が完全に大人になっていたのですね。今の20代を想うと・・・・?
91年の人生に思いを馳せました。時代背景興味深く読ませていただきました。
「夕されば野辺のあき風・・・・」好きな歌です。こころに沁みます。
投稿: みい | 2008年1月30日 (水) 17時37分
★tanukiさん
何時も有難うございます。人は幾つになっても母を思う気持ちは大きいですね。私も子供に 立派な母だった とは言ってもらえませんが人生を楽しく過ごし、子供に迷惑かけない母だったと言って貰えたら有難いですね。フフフ・・
♪~(^-^q)
★あまもりさん
何時もコメント有難うございます。
牧先生の解説は歌人の時代背景を詳しく説明があるので本当に有難いです。歌の解説だけならどの本でも載っていますが 時代背景まで載っている本は見つけられません。だから牧先生にお願いいたしました。藤原定家は父俊成や祖父、祖祖父の才能を受け継いでいたのはやはりDNAが強いのでしょう・・
今後ともどうぞお楽しみくださいませね。
σ(⌒▽⌒;)
★みいさん
何時も有難うございます。
みいさんが仰る様に 昔の時代の20歳代、そして今の20歳代との違い・・・あまりにも違いすぎますね。でもこれも時代ですからどちらが良いか、、?昔の方はパソコンなんか出来ませんしね。
私は今の時代に生まれて良かったと思います。だって、もし歌を送られても折角の恋の歌も解説がなければ意味が通じなかったりして、、ホホホ・ ねぇ~
┏★(^O^(^O^(^O^(^O^
投稿: sakura | 2008年1月30日 (水) 19時56分
sakuraさん「俊成」27歳の作歌と知り大変驚いております。世の中よ 道こそなけれ、、」と詠んだこのお歌から 作者の深い行き場のない哀しみが
ズシッ~と心に重く伝わって参りました。
平安朝末期の動乱の中という時代背景があったにしても27歳の若さで、、と思った時何だかお気の毒な感じが致しましたのよ。
当時の27歳は決して若い等とは言わなかったのでしょうね。
その他の「俊成」作歌の数々を歴史的時代背景と共に詳しくご紹介して頂きとても楽しませて頂きました。どの歌も哀切が漂っていて作者の心の内を想像した時 俊成の91歳の長い生涯はお幸せだったのかしら、、と思ってしまいました。
「世の中よ 道こそなけれ 思い入る山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」鹿の鳴く声sakuraさんはお聞きになった事はありますか?
一度聞いてみたいと思いましたのよ。きっと もの悲しく感じるのでしょうね。
投稿: 夢見る夢子 | 2008年1月31日 (木) 09時42分
★夢子さん
何時も有難うございます。
俊成の業績を読むと若くして歌壇に参加、不遇期を経ても歌壇の評価は「むかしに恥ぢぬ歌人なるべし」と、最高級の讃辞を捧げられる立場になっていたり、63歳で出家し源平の戦乱を乗り越え創作理論両面での業績を上げられた俊成を知って大変立派なお方だったと思われます。
後鳥羽院直々の主催による九十賀催行の栄誉を受けた翌年、定家ら子女達に囲まれながら大往生を遂げられた一生は本当に素晴らしいですね。
鹿の鳴き声は聞いたことがないですが、、鳥の鳴き声も 聞くこちらの気持ち次第でどうにでも聞こえてきますよね。私も年をとるにつけ何時も心広く明るい気持ちを持って過ごしたく思う此の頃です。
σ(⌒▽⌒;)
投稿: sakura | 2008年1月31日 (木) 11時22分
不謹慎なコメントです。
子どもの頃、我が家で百人一首をすると母がこの歌を「山の奥にも鹿ぞキャンキャン」と言いました。
子どもの頃から覚えるためにそう言ってきたんでしょうか?
母の実家だけだったのかな?
投稿: saheizi-inokori | 2008年2月 1日 (金) 11時00分
★saheiziさん
コメント有難うございます。
「山の奥にも鹿ぞキャンキャン」
これは愉快なことでお母様は
とてもユーモアのあるお方でいらっしゃったのでしょう・・
鹿ってキャンキャンと鳴くのでしょうか?
(*^◇^)/゜・*フフフ・・
投稿: sakura | 2008年2月 1日 (金) 19時10分
当時の27歳は大人なのでしょうが、やはり若い人ならではの、歌のような気もします。
現代の若者の閉塞感も似通う苦悩なのでしょうね。
ところで、今日郵便局でふみの日の記念切手(昨年の7月発行)を購入しました。
百人一首の切手です^^
お手紙のやり取りにいかがですか?
http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2007/h190723_t.html
投稿: rosa | 2008年2月 2日 (土) 01時18分
★rosaさん
何時も有難うございます。
それに切手のお知らせ嬉しく拝見。
早速買いましょう。
よく郵便局に行くのですが知らなかったです。
☆\(^ー^@) ♪
投稿: sakura | 2008年2月 2日 (土) 13時31分
万葉集に興味持ちながら空白になっていた私の頭、
sakuraさんのおかげで、少しづつ光が当り始め、とても嬉しく思っています。
NHKのBS「日めくり万葉集」もう23回終わりました。
順調に録画していますので、違った角度でこちらも楽しんでいます。
投稿: jyoh | 2008年2月 7日 (木) 04時07分
★jyohさん
NHKのBS「日めくり万葉集」
私は見ていないのですが、、
jyohさんはお忙しいのに
お偉いですね。
よくお時間があると感心します。
( ・∀・)┘
投稿: sakura | 2008年2月 7日 (木) 15時53分
初めまして。
通りすがりのものですが、
私の叔父も「鹿ぞきゃんきゃん」と詠んでいました。
ちなみに、中部地方です。
とても気になりますね。。。
投稿: mandara | 2008年2月22日 (金) 15時08分
★mandaraさん
ようこそ!
叔父様も「鹿ぞきゃんきゃん」とお詠みでしたか?
やはりそう言うお方がいらっしゃる事を知って何だか一つの歌を詠むのも色々な読み方があり
百人一首は昔から大勢の方々に親しまれて来たことを知りました。
ありがとうございました。
(^。^)
投稿: sakura | 2008年2月22日 (金) 19時11分
夫の母は明治40年生まれです。晩年は穏やかに痴呆の世界に居ました。でも百人一首はちゃんと覚えて居ました。上の句を私が読みますと、すらすらと、下の句が返ってきました。ある時「世の中よ道こそなけれ思ひ入る」と読みますと「山の奥にも鹿ぞキャンキャン」と真面目な顔で返って来ました。ん?と、もう一度上の句を読みましたが「キャンキャン」と返ってきます。「鹿ぞ鳴くなる」ではないの?と聞きますと真面目な顔で、上の句から言い直して居ました。夫と、それが楽しくて毎日繰り返しては楽しみました。平成18年、百歳で他界しました。夫は19年77歳で他界しました。キャンキャンが、母のオリジナルなのか、当時流行っていたのか確かめたくて、{百人一首鹿ぞキャンキャン}と検索しました。まさか、このような嬉しいメールにお会い出来るとは・・・当時を懐かしんで、涙ぐんでいます。
投稿: バーグマン | 2009年6月24日 (水) 23時47分
言い忘れました。母は女学生時代は台湾で、その後は鹿児島で娘時代を過しました。どうやら、地域を問わずその時代流行ったらしいですね!
投稿: バーグマン | 2009年6月25日 (木) 00時03分
★バーグマンさん
ようこそお越しいただきました。
とても嬉しく読ませて頂きました。百歳までお元気にお過ごしなられたお義母様をご主人さまとバーグマンさんが如何にお大事にお世話なさったかと言う事がよく分かります。心からお偉かったなぁ~と感心申し上げました。百人一首を通して様々な想い出が有る事も嬉しく感じております。又明治生まれの方々が同じような詠み方をなさっていた事も興味深い事でございますね。最近コメント欄を閉じておりますがこの様なコメントを入れて頂くと有り難く又再開したく思いました。バーグマンさんのアドレスがございませんが 今後とも宜しくお願い申し上げます。本当に有難うございました。(*^。^*)
投稿: sakura | 2009年6月25日 (木) 11時05分